こんにちは。ロック牧師(ロックチャーチ牧師=ロック牧師?)の鈴木竜生です。
さて、私は何の自慢にもなりませんが、相当に忘れっぽい人間でして、あらゆることを次々に忘れてしまうんです。(本当に自慢になりませんが。)
行った場所、観た映画、食べたもの、着ていた服などの情報や体験が、この際だからはっきり言うと、何の記憶にも残っていないことが多いんですよね。(おーい!)
一番困るのは家や車の鍵のありか。家を出るときには、毎日10分くらい探します。
こんなことが毎日続くので、最近は鍵を探す時間を含めて、朝の準備したりする用意周到さを身につけましたね。(なんのこっちゃ。)
「おいおい、そんな忘れっぽくてあんた大丈夫か?」ときちっとした方には叱られそうですが、実は忘れっぽいのも悪いことばかりではないんですよ。
と、言うのは昔の私はどちらかというと、一つのことをずっと覚えているタイプで、苦労したからなんですね。
昔の私は、人に言われたきつい一言や、失敗した出来事なんかをずっと覚えていて、何日も落ち込んでいるタイプだったんです。ですから、心は暗かったですよ。ほんとつまんない日々でしたね。
でも聖書に出会ったとき、何か心ではじけるものがあって「一つのことにくよくよするんじゃなくて、もっと前向きに生きたい!」と思えるようになったんです。
それで私は意図的に、あまり人のことばや態度を気にしないようにし、何でも忘れるようにしました。
そうしたら、心が楽になって、毎日がハッピーになっていくのがわかったのです。
「うん。これは私を幸せにする良い方法だ。さらに気にしないぞ。」と決心。すると、ますます人のことばや態度は気にしないようになり、言われたことをどんどん忘れ、今のように忘れっぽい人間になりました。(おーい。おーい。)
でもこんなに忘れっぽい人間でも、教会での説教や聖書の言葉、また歌詞やアレンジ、音響関係のことは知識的にも感覚的にも、忘れることはほとんどないんですね。また仕事上の必要な知識も忘れませんね。
さて、博士号を2つも持っている私の尊敬する牧師先生はこう言いました。「私の妻は私のことを、仕事以外はなんにもできない出来損ないだといいます。」
おおそうか!あんな偉大な先生でも仕事以外はできないことだらけなのか。
ならば私がそうでも許されることでしょう。(おーい。おーい。おーい。)
人の語ることばにいちいち心を留めてはならない。あなたのしもべがあなたをのろうのを聞かないためだ。 (伝道者の書 7章21節 )