私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を
反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙 第二 3章18節
こんにちは聖書。こんにちは皆さん。ロックチャーチ 牧師の鈴木和憲です。
今日も素晴らしいの聖書の言葉を見てまいりましょう。
私達人間は、本来、「神に似る者」として造られました。
でも、最初の人である「アダム」が神に逆らい、エデンの園から
追放されたことによって、その子孫である私達人間も、
この世のさすらい人となってしまったと聖書時は語ります。
この世のさすらい人は大変です。
エデンの園において「人」はエデンの支配者でしたので、
自然界も人に従いましたので、自然災害はありませんでした。
また人と人との争いもなく、神と話をしながら楽しく暮らしていました。
しかしこの世のさすらい人になった瞬間、自然界が人間に襲いかかり、
人と人との間にも常に争いがあるようになりました。
しかし、うれしいことに神様は、この世のさすらい人から逃れるチャンス
を作ってくださいました。
それはイエス様を救い主として信じることによってのみ、
この世のさすらい人から逃れることができるという道です。
そしてそれは、この世に生きながら、この世の摂理や法則や常識とは
全く違う生き方のできる道であり、それこそが、もう一度
神の子となれる道なのです。
つまりクリスチャンとは、イエス・キリストを信じ信仰する人
というだけでなく、神の子として生きるものなのです。
聖書によると神の子にはさまざまな特権があり、この世で多くの祝福を
受けることができるのだとあります。
また神の子であるクリスチャンは当然、本来の姿「神に似た者」とも
なったのだとあります。
ただ、クリスチャンになった途端に、神に似たものとなるのではありません。
聖書を読んだり、教会に来たり、お祈りすることによって、少しずつ神が
わかるようになります。
これを続けていくとき、私達が「鏡」となって、神の栄光を映し出す者と
なっていくのです。
確かに「神に似たものになる」のは簡単なことではないかもしれませんね。
でもそれに少しでも近づけるなら、楽しい毎日でしょうね。
それでは今日も良い1日を!ハレルヤ!
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